グレートブックスセミナー報告

 

横浜教育サポートフォーラム第一回グレートブックスセミナーが7月23日(金)横浜市中央図書館研修室で開催されました。モデレーターは梅田 誠氏、サブモデレーターは村上 正氏、三浦 久恵氏です。

今回、取り上げたグレートブックスは「学習・秘められた宝」ユネスコ21世紀教育国際委員会報告書(出版・ぎょうせい)でした。

会場では、事前のアンケートで参加者からの意見を集約し、午後1時から5時過ぎまで熱心な討論が展開されました。

 

グレートブックスセミナー 教育 第一回討議内容

 

1.知識詰め込み教育が批判されていますが、知識を教えることをどう考えますか。

・子どもには、知識、理解、思考力、関心、態度など、総体として身につけて欲しい。知識は大事。学校は記憶に関することを知識と考えている。知識と情報は異なる。

・情報を知ることにより、自信がつき、知識になっていく。そして、生きていこうとする意欲がわく。

・知識を得る方法は問題がある。読まされた本は身に付かない。「学び方を学ぶ」必要がある。読み・書き・話すが基本なのは変わりない。

・詰め込み教育も、あとで自分がそれを使うようになったときに役立っている。知識となっている。

・幼児の時に教えても身になっていないことがある。教える時期は大事。

・知識が知恵に変化していくことが大事。

・知識はあるプロセスを経て得たものである。そのプロセスを省いて教えざるをえない所に問題がある。知識をそのまま使えるかどうかがある。

・子どもには知識欲があるはずだ。

 

 

2. 最近の子どもの手作業能力、体力、運動能力、労働観、職業観へのご意見を、またそれらにどう対処したらよいかご紹介ください。

・子どもの体力は明らかに落ちている。60才くらいの体力しかない。前屈させたとき、手のひらが床につかない。また、手作業、実体験がない。3才くらいの間に筋力などできてくるという。それがない。

・リンゴの皮むき、鉛筆削りなど、へたくそ。しかし、やらせればすぐ身に付くことも確か。やらせること、実体験させること。

・子どもたちは手作業に体全体を使っている。小さいときからの育ち。体を動かし、五感を鍛えていけば、その表現としての言葉もついてくる。学校と家庭で育んでいく必要がある。

・大人も身体感覚が欠如してきているのでないか。心も体も柔らかい体にすること、五感を鍛え、体の感覚として理解することが、他者理解にもつながるのでないか。

・やらされるのではなく、自分がやると言った意欲とのつながりが大切。

・子どもたちの遊びがなくなっている。遊びの空間を作ってやりたい。

・子どもたちが町工場に見学に行き、実際の現場で仕事する人の緊張感をみてきた。労働観、職業観はそのようにして育まれる。

・海外では、子どもでも他家の芝刈りなどのアルバイトをする。お金を得るのに如何に汗を流すかを知る良い体験になっている。

・子どもに夢をもたせること。親の影響は大。親の働いている姿を見せることにより、多くを学ばせることができるのでないか。

 

3.「ともに生きる」についてキーワードを5つあげて、そのうちの関心の高いひとつについて、子ども達とどのように考えを進めるか紹介ください。

・学校は小社会。その中で人間関係をどう築いていくのか。まず、自分自身の考えをもつ、相手に表現する、他との違いで自分自身を知り、他者を知る。「認めあい、助け合い」の理解を深める、など。

・児童により段階がある。少数意見を大事にする。段階の違う子どもたちに対する授業では、TTなどで対応しているが、学校全体で、一人の子を複数で関わってみてあげることが大切。

・自分を知って、相手に伝える方法、ディベートの訓練が必要。

・ともにやり、学ぶことが、良いこと、楽しいことを、体験的に知らせ、実感させる。

・他と自分を調整(調節)していくことが欠けている。どうしたら他者と上手くやっていけるか。他人の意見を聞きながら、自分の意見を調整していくこと。

・聴くことが大事。共感的理解が大事。

・学習内容により、やり方は違って良い。何でも言えるクラスづくり。

・ともに学びあえるクラス。その中で、子どもがそれぞれの思いをもち、意見を言うが、トラブルがあったときなど、言って良いこと悪いこと、言って良いとき悪いとき、のあることを知る必要がある。社会性を身につけること。今までの自分を発見すること。

・良いクラスは、ともに学びあえるクラス。

 

4.「人間として生きる」とありますが、どのような考え方で教室での手立てを考えますか。

・自分探しの旅、自己実現、共存。

・宝塚では一様な行動を訓練づけられている。来週購読する本では、ダウン症の子は判断力がないと言う。両者を比較すると複雑な感じを受ける。

・古典芸能は型から入っているが。

・自分があるがままでよいこと、自分を受け入れてから自足感情をもった上で自分探しの旅に出る。それにしても、日本の教育は良くできていると思う。本書に「公民教育と市民としての完成」(p. 45) があるが、ここで言っていることはまさに学校の特別活動ではないか。四つの教え(知ること、為すこと、共に生きること、人間として生きること)のバランスが大事。

・子どもは自分探しを自分なりにやっている。人間として生きるというとき、その子が何を求め、自分を捜しているか。「教師は最も大きな触媒である」( )とあるが、この言葉の意味は大きい。そういう立場に立つことが非常に大切と思う。子どもの変容が見えない教師が多すぎる。

 

 

 

5.ラ・フォンティーヌの寓話は、今の子ども達の教材たり得ますか。

 

ラ・フォンティーヌの寓話  「農夫と子どもたち」

骨折って働くがいい。

それがなによりまちがいのない元手。

ある富裕な農夫は、死が近いことをさとって、

子どもたちを呼び寄せ、ほかに人がいないところで語った。

「ご先祖さまが残してくれた土地を売るようなことはせぬがよい。

宝が隠してあるのだ。」

「場所はどこか、わしは知らぬ。だがすこし根気よくやってみれば

みつかるだろう。探しだせるだろう。

取り入れがすんだらすぐに、畠の土をひっくりかえせ。

掘り返し、鋤きかえし、深く掘りおこして、どこもかしこも

なんべんも、あたってみるのだ。」

父親は死ぬ。

子どもたちは畠をひっくりかえしてみる。

あちらこちら、いたるところを、丹念に。

そこで、一年後には、畠は例年より豊かな収入をもたらした。

隠し金はなかったが、父親は賢明にも、

死に先立って息子たちに教えたのだ。

労働は宝であることを。

 

・今の子どもたちには、土地を耕すという実体験などないにしても、その話を聞けば、先生たちが一生懸命に話していることに何かを感じ、重要であることを分かってくれると思う。高学年の子にはこの話は通じる。

・道徳の価値観を高めるには本当に落ちてくれるかな、とも思う。

・朝会で読ませたいと思うくらい。子どもたちは本を読んでいるので、耕すことは知っている。子どもたちは好奇心もあり、この話の継続の大事さは読みとってくれる。ただし、大事と認識し興味をもっても、今の子はすぐ忘れる。ストレスに耐えられないことがある。いろいろなハードルがあるが、こつこつ続けることが大切なことを教えている。

・問いに謎じみたことを秘ませておいて後で分からせるといった手法が、今の子に通じるかどうか、疑問に思った。

・うちの学校は田圃があり、生徒が実習している。子どもたちは、労働が宝で、田圃から得られるものは収穫だけでないもっと別の宝もあること、学習と言っても、知的なものだけでなく、別のもの、人とのつながりなどあることを、読みとってくれると思う。

 

感想:

・この本を読んで辛くなった。何で世の中がこんなになってしまったのだろうと。でも、負けていられない。

・世界中が同じ悩みをもっていること、教育をグローバルにみていく必要性、今の教育の方向性は間違っていないこと、関わり合いの大事さ、などを真剣に考えているなと感じた。

・本書は、先生方の現場での実際の教育で、根っこの原点になり得る本と思う。

・現場にいる者にとって、このような機会は大変良かった。

・現場の先生方のお話は具体的なので、有意義で大変参考になった。

 

(文責 梅田)

 

グレートブックスセミナー一口メモ

 

「グレート・ブックス・セミナー」はモーティマー・アドラー博士によりアメリカの大学で取り入れられて非常に盛んになっていたセミナーで、古典という普遍的価値がある読みつがれている本をじっくりと読むセミナー です。
 
グレート・ブックス・セミナーの形式は、プラトンの対話篇の中で知ることのできるソクラテスの質問法をモデルにしています。ソクラテスの質問方法の特徴は、あるアイディアス――例えば、正義、愛、神、美徳といったアイディアス――について知るのに必要な質問を次々に重ねていくところにあります。ソクラテスの方法は、ある本を読み込んでいくのでもなく、議論の課題をあらかじめ提示するのではありませんが、「ソクラティック(socratic)」という言葉が、このセミナーを進める方法を最も特徴的に表します。つまり、「質問すること」が、このセミナーの真髄です。参加者に質問をする。そのことで、参加者にある着目点を与える。そして、ある基本的なアイディアスについて、理解することを助けるということです。

グレート・ブックス・セミナーの教材は、書物でも、人間がこれまでに生み出した素晴らしい芸術作品でもよいのです。素材として選ばれるのは、アイディアスを提供するような内容の本でなければなりません。実用的な情報を得るようなものや、事実を羅列してあるようなカタログ的なものでは素材とはなりません。また、教科書のようなものも教材にはなりません。